貫心流剣術 上村信夫 

山形県の剣客 心陰柳生流 山田静磨の英名録より上村信夫の部分
山形県の剣客 心陰柳生流 山田静磨の英名録より上村信夫の部分

新潟市に伝わった貫心流剣術

山田静磨が剣術修業で新潟県をはじめ、長野県、群馬県、栃木県と廻った稽古記録です。これは明治36年8月26日に新潟市東中通に当時あった道場に寄ったものです。

山田静磨は自らを羽前の剣客山田無敵斎と号し、その竹刀袋に見事な達筆で認められていたといいます。

貫心流剣術は他にも居合、柔術とありました。新潟県での伝系は途絶えてしまいましたが、現在でも現存している流派です。大正10年発行の「大正武道家名鑑」にも貫心流(大正4年)新潟市西中町147 上村秀 明治15年生とあり、息子さん?も継いでいました。昭和5年調査の剣道家として上村秀は精錬で48歳と出ています。

 

 

貫心流剣術の系譜  (二人の人物より習っている。)

鬼一法眼――源義経――由利忠太正之……由利刑部正俊――宍戸司■――河野大内蔵通昭

 

―― 築山斎依通――溝口甚五右衛門(鉄柱無端)――山根大蔵正清――上村信夫

      |

       ―築山嘉中通■――築山文五郎通――築山嘉平通欣――細六郎喜知宗閑

                                  |

                                上村信夫                                                                                        

                                  |

                                上村秀

 

撃剣組合表(新潟県武芸流派一覧のいろんな物参照)
撃剣組合表(新潟県武芸流派一覧のいろんな物参照)

上村信夫とは?

画像の明治16年12月に行われた撃剣組合表によると、上村信夫は旧広島藩・細六郎門人・警視局とあり32年5月(32歳と5ヶ月)と見れます。

貫心流は専ら広島近辺で行われてきた流派であります。広島出身で警察関係の仕事による移動で新潟にやって来たのでしょうか?

上村信夫は新潟では地蔵堂の分署長・上村信夫警部と記録があり、明治32年における年齢は「上村信夫先生 51歳(数え年)」とあります。

逆算すると上村信夫は嘉永4年(1851年)か5年(1852年)の7月頃に生まれたことになります。剣道の腕はそれほどでもなかったという記述もあり、古流剣術出身なので防具をつけての剣道の試合は不得意だったと思われます。

 

大日本帝国剣道形より、この頃には新潟・上村信夫とある
大日本帝国剣道形より、この頃には新潟・上村信夫とある

明治44年に委員を選出して大正元年に大日本剣道形太刀形七本、小太刀形三本制定。上村信夫64歳?頃の写真。有名な中山博道も。

佐渡伝 天命一刀唯心流柔術と片山心働流柔術

天命一刀唯心流柔術

(仮)として書いていこう。

書かなければ何も始まらないのだから。

なぜに天命一刀唯心流と片山心働流を一緒に書くのか?

実は意外なつながり!?があるのだ。

天命一刀唯心流は唯心一刀流と同型の流儀であることは間違いないが、私は一刀流は専門ではなく詳しくないので、わかる範囲で書いていきたいと思う。

剣術と柔術が一緒になった伝書の確認は出来ていないのだが、伝書の「極意先伝心学巻」には剣法とイに和と書いてイ和法と出ている。

そうそう、佐渡伝の天命一刀唯心流には剣術の伝は伝わっていなかった。

拳法柔捕手とあった。

 

系譜(仮)いろいろと資料があったのだが、保存資料のHDD故障で見れないので仮

 

   ・八天宮神

     |

 杉浦定之進正武(武正)

          |                            

 曽根栄治豊久(貞寅)――――――――――――――――――――――――――内藤清一昌雄

                |                 |                |                         |                |                     |

  飯島幸右衛門員            |     望月嘉衛門幸程  武重本蔵通曲   内藤源右衛門昌興  石原吉尉

               |            市瀬嘉内貞如    |            |       |      

  志田(信田)豊蔵之則  |            |―松井喜平治  上野貞蔵       |―石原半兵衛

          |          小林亀右衛門        |                        |

 八木吉郎兵衛久長             横内庄兵衛                     内藤源右衛門(藤原)昌行 

       |                   |

        |                     藤松彌右衛門

         |                              長崎長三郎

              |

  村川吉右衛門昌平―――佐久間伊左衛門

            |

              |――葛原源左衛門本考――八尋渕甚太郎宗本――本間兵吉保豊――中川春吉

              | 

佐々木権四郎源金撃――佐々木良吉致由――浜岡末吉満房――南栄蔵……  

 

中には氏名の前に師代と書かれている者もあり、今で言う師範代のことだろう。  

 

(補足)曽根栄治から児玉永吉政益に宛てた伝書有り。

     曽根栄治から伏見左忠太に宛てた伝書有り。

 

    

    

人物

・杉浦定之進正武(武正)

古藤田一刀流の三代目の古藤田弥平衛俊定(一時、唯心一刀流と名乗る)、門人の杉浦平左衛門正景(唯心一刀流、杉浦流)が唯心一刀流を名乗ったとされている。 この杉浦家の人物とされているが詳細はわからない。

柔術の伝書では名前の上に出身地と思われる武州江戸御先町と記してある。柔術の伝書はまだ多く確認できていないが、柔術に限って言えば杉浦正武ではなく武正になっている。

 

さてここで小田原の藤田西湖文庫で剣術秘伝書を見つけた。私の武友に写真を撮って来てもらった。

(画像は許可を取らないと載せることができない)

これは信陽野倉住 曽根栄治源豊久が写したものらしい。古藤田弥平衛俊定の伝書を杉浦正影が写したものを借りて、それをさらに写したものか?曽根の名前の前に杉浦正影先生伝書とある。ということは曽根の先生は杉浦正影なのだろう。剣術、柔術と曽根の師は別々なのか?杉浦正景(影)と定之進は同一人物なのか?次の資料の出現を待ちたい。

 

・曽根栄治豊久(貞寅)

この人物が広めたようでここから柔術を取り入れたのか? この人物もmixi等で議論されたこともあったのだが、とりあえず。私は長野県立図書館等へ問い合わせ。

結果は…「曽根栄治等、名あり」これのみ。いたということは確か。

さらに

『角川日本姓氏歴史人物大辞典』〈県別47巻 既刊14巻〉より
20 長野県姓氏歴史人物大辞典
曽根[そね]
市部では長野市、上田市に多く郡部では東筑摩郡朝日村に多い。  
上田市野倉の曽根家は遠祖は一説によると、甲斐国(山梨県)曽根の出で、武田二四将の一人とかかわりを持ち、信玄歿後、野倉に居住したという。江戸初期、塩田組二一村の四家の一つに数えられている。元禄一三年、武右衛門の子として生まれた栄治は武芸に秀で名を馳せ、とりわけ宝暦騒動で扇動に応じなかったことから、のち米穀若干を給された。栄治の分家筋にあたる平治栄続は現上田市神科(野竹)の内藤家に寄宿し、同村に剣道指南の道場を開いた。天明三年の天明騒動鎮圧に貢献、のち上田藩士の争いにかかわり暗殺されたとも伝える。現当主は正夫(神科村誌・小県郡史など)
 ※他新潟県等の発行の予定はないらしい。残念。 
野倉に居住。これを裏付ける柔術伝書の曽根栄治の上に出身地、信州上田野倉村と記載。 
こちらも柔術に限って言えば曽根豊久ではなく貞寅になっている。 

 

・内藤某

内藤某は曽根の項目で書いてあるとおり、内藤家の人物だろう。信州にそのまま伝わったもの。

・飯島幸右衛門員和

この人物も柔術伝書、名前の上に信州伊那郡と記載。下の志田に伝えるのだが接点がないので、江戸へ行った時にでも知りあったのか?

・志田(信田)豊蔵之則

系譜の書かれた伝書の確認は出来ていないが、本によると志田が多いので、信田はたぶん志田だろう。この人物から佐渡に伝わる。江戸より赴任してきた奉行所の役人と言われていて、それで佐渡の相川に来ることにより伝わったと思われている。 柔術伝書の名前の上には佐州雑太郡相川になっている。この人物、唯心流の他に無限心流、片山心働流も収めていた。それらを次の八木某へ伝えていた。

・八木吉郎兵衛久長

この人物も江戸麹町の人物と伝えられている。上の志田と同じく、佐渡の相川に赴任してきた奉行所の役人と言われている。同じく柔術伝書の名前の上に佐州雑太郎郡相川となっている。一緒に赴任してきたのか?この人物も江戸で習った唯心流、無限心流、片山心働流、随変篠田流、一波流を佐渡の武士や百姓に伝え、それにより広まる。

 

人物続く…

技法比較

天命一刀唯心流に伝えられた柔術は全く別の流派から取り入れられたものだった。それが唯心流の柔術として伝えられていった。

ちなみに参考資料として播州三日月藩・姫路藩に伝わっていた猪俣弾正系の唯心流の伝書。

この史料は小田原の藤田西湖文庫より(尚、画像は許可を取らないと載せることができません)

 

唯心流柔術小序

立合   拳法     勝入 

      違入     同

      印砕     同

      飛龍取      同

      袖露     同

      車入     同

居合   勝車     勝入

      胸砕     同

      乱刀     同    

本體   體       身砕

      夢中

      力避    車返

      水車 

      水流    水入

      引落

      虚倒    柳雪

      打砕

      谷落    坂落

      車倒 

      錣取    雪折

      錣返

      夕立    岩波

      瀧落             以上

   必死   即生

死活      明間

      松風

      村雨      

  この系統は技法より起倒流より取り入れた流派ということがわかるので関係性はない。

 

・天命一刀唯心流(以下、唯心流)に取り入れられた流儀は仙台藩伝の栄進流兵法である。
これは以前、武道文化研究会「文武館」第7号誌上において書いたことがある。

この柔術は小具足、棒術、鎌術も含んでいる。
栄進流は伝書によると片山神道流に一術を加えて、栄進流を名乗ったと書いてある。
ということは佐渡には片山心働流と栄進流を取り入れた唯心流と片山系が二流儀伝わったことになる。

しかし、じゃあ同じかというと全く違う。唯心流には居捕(座り技)があるのだが、片山心働流には居捕

がなく、立ち技オンリーなのである。ある伝承者は唯心流は居捕が多く、片山心働流に比べて面白みに

欠けると言っていた位だから。
※片山心働流はまたあらためて別の機会に。

さて技法比較である。
()カッコ部分は伝書によって加わった部分だったり、字の違う部分。

・天命一刀唯心流           ・栄進流兵法          ・両流儀共有部分など   
拳法柔捕手

 

表 勢体位同合体          居捕拾足 及び 本裏秘事

    前段                           この項目漢字違えど読み方ほぼ一緒
一、平止    一事  一変口伝   一、平仕
一、偏止    〃    〃     一、変仕
一、刀止    〃    〃     一、刀(手偏に両)
一、変刀    〃    〃     一、背刀
一、背変    〃    〃     一、拝変

裏 勇体位三段之間           本前段

  立捕
一、行違    一事  一変口伝    一、行違       この項目漢字違えど読み方ほぼ一緒  
一、両手    〃    〃     一、両仕
一、引付    〃    〃     一、車手(引付と車手の順逆)
一、車手    〃    〃     一、引付
一、背向    〃    〃     一、拝向
一、刀位    〃    〃     一、当居
一、背手    〃    〃     一、拝手

   中段                本中段
一、使者捕              一、飛車捕      この項目漢字違えど読み方ほぼ一緒 
一、大小柄捕              一、大小鞆捕         使者捕=飛車捕
一、七里引              一、七里引        
一、片胸捕              一、両手向捕
一、両手向捕               一、髪捕
一、髻捽                 一、身之〆  

一、大腰                一、雷電

(一、弓馬太刀           (中段九足では          弓馬太刀=急場大刀  
  一、八割               一、大腰
  一、拳法大事  秘事  )          一、急場大刀 がある)

  九箇兵気伝来            九荷八足
一、意心    口伝         一、一身太発     この項目漢字違えど読み方ほぼ一緒
一、体発    〃                         意心 体発=一身太発
一、石林(石体)〃          一、関体                                       
一、正体    〃          一、勢体        前述の伝書「極意先伝心学巻」では

一、三寸                                     一、三寸        意心 体発を剣法
一、落馬                一、落馬       正体 三寸 桶体 鬼身 石体 甲引 落馬

一、樋体                一、桶体        をイ和法と書いている。
一、兜引(甲引)            一、甲引
一、鬼身                一、鬼身                                          

   小具足小剣之大事          小具足
一、向明剣   口伝          一、光明剣       この項目漢字違えど読み方ほぼ一緒
一、当上剣   〃          一、登明剣    
一、妙当剣   〃          一、通シ剣
一、無止剣   〃          一、虫シ剣
一、有止剣   〃          一、□シ剣(□不明文字)

  居合
一、抜打
一、大小柄捕

   受身兵気之伝            宇気兵気之伝     この項目漢字違えど読み方ほぼ一緒
一、拳法之妙               剣兵之妙         拳法之妙=剣兵之妙

一、片胸捕極秘              一、片扱取  
一、両手重               一、両手重
一、当手矩              一、通シノ鐘
一、体刀法精              一、大通鐘
一、体中発              一、大当鐘
一、有無前後                 
一、我当生心位              極秘         我当生心位=我当正心之位
一、手中妙              一、仕中之明
一、小鳥中ノ切              一、小鳥中ノ切
一、水位骨放             一、吸骨拂
一、身向矩              一、吸光ノ拂
一、貴心無形              一、掛リ之位 我当正心之位
一、無我無敵     

 

続く…          

真貫流柔術 櫛 平朔 

荒木新流柔術 坂本謹吾 

戸田一平流柔術 阿部鉄扇 

直心影流剣術 今井常固 

直心影流剣術 中村新蔵 

柴田克己 予定

溝口方次郎 予定

堀小源治 予定

小野弥助 予定

五月女鉄丸 予定

根岸信五郎 予定

小野田伊織 予定